2006年08月18日

ジェニファー・ビールス Jennifer Beals (アメリカ) Flashdance


今日は1983年に大ヒットした映画「フラッシュダンス」の主役、ジェニファー・ビールスについてです。アイリーン・キャラの例の曲、What a feeling.は私のカラオケレパートリーの定番の一つで、フラッシュダンスのアレックスのように椅子を使いながらその気になって気持ちよ〜く歌いますよ(笑)。この映画はもう一曲、マニアックもヒットさせましたよね。なんか頭にリピートしちゃう系の曲です。
今回ジェニファーについて調べていて始めて知ったのが、この映画は実話に基づいて作られたものだったことです。工事現場で働くブルーカラーワーカーで、女性にして本当に溶接工をしていて、アップスケールなダンス学校への入学を夢見ていた。この実在の女性、パラマウントに映画の権利を1982年の当時、2300ドルで売ったそうなんですが、なんと150ミリオン(1億5千万円)を越える世界での大ヒットになったんです。きっと後悔したのでしょうね〜。その後何度も映画権を求めて映画会社を訴えているのですが、今のところ敗訴に終わっています。ジェニファーと関係ないのでどうでもいいことなんですが、この人ジェニファー・ロペスのことも訴えていました。映画の中の踊りの振り付けを真似したとかで・・・

話を戻しますが(笑)、ジェニファーは1963年生まれで、今年の12月で43歳になります。大ヒットの映画の後、学生に戻って勉強したことは割と知られているんですが、天下のエール大学を卒業したそうです。才女ですね〜。
スクリーンではフラッシュダンスでしか知られていませんが、50本以上の映画に出演しているんですよ。
それで今何をしているかといいますと、こちらで2004年にスタートしたThe L Wordというテレビドラマにレギュラー出演しています。The L Wordはレズビアンやバイセクシャルについてのドラマで、ジェニファーはレズビアン役で出ています。私はサンフランシスコから車で一時間くらいのところに住んでいるんですが、今年2006年のSan Francisco Prideという名前のゲイパレードの際には、ジェニファーはセレブとして参加していました。
そして、今年の10月に公開予定のホラー映画、The Grudge 2にも出演しているそうです。
プライベートでは去年女の赤ちゃんが生まれました。ジェニファーは、子供のプライバシーを守るために、娘の名前は公表していません。それ以外に旦那さんの連れ子二人の継母でもあります。

これは現在のジェニファーの写真。素敵なお姉さんですね。当たり前だけど面影あり。


フラッシュダンス ― オリジナル・サウンドトラック
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2006年08月15日

ブランドン Jason Priestley (カナダ) ビバリーヒルズ高校白書

右がブランドン
今日はビバヒルのブランドン・ウォルシュ(Brandon Walsh)を演じた、ジェイソン・プリーストリー(Jason Priestley、以下ジェイソン)です。
ビバリーヒルズ高校白書・青春白書はもちろん邦題で、こっちではBeverly Hills 90210といって、アメリカで1990年から2000年まで約10年続いた人気TV番組です。ちなみに90210はビバリーヒルズの郵便番号です。
私は登場人物が大学生になってからのエピソードは、完全に昼メロのようになってしまったので好きではなく、こっちでリアルタイムでやっていた時も見ていませんでしたが、高校生の時のは、もうはまりましたよ〜。
ジェイソンはカナダ生まれカナダ育ちのカナダ人ですが、実は5歳の時から既に芸能活動をはじめていました。でもまあ無名だったので、子役は大成しない、なんてよく言いますが、子役の時は売れなくて逆に大人になって大成功したケースですね。今では彼の顔を知らないアメリカ人はいませんし、頭もよくてスポーツも万能で、かつ性格も良いという、ちょっと理想的過ぎるティーンの代表はブランドンです。今はもうないですが、当時は子供にブランドンと名前を付けるのが流行ったそうです。
多くのTVスターが望むように、ジェイソンもビバヒルの最中に映画スターへ移行しようと、何本かの映画にちゃっちゃと出たのですが、残念ながら作品にめぐまれず、どの映画もぱっとしませんでした。1998年に"Love and Death on Long Island"という映画に出演して、初めてまあまあ良い評価を得た彼は、この年にビバヒルを降板しました。
現在は黄金時代の異常な程の人気はないものの、ずっと現役で活動しています。映画数本に脇役で出ていますが、やはりこの人はTVのスターがあっているようです。
2004年にはテレビドラマのTru Callingのレギュラーになり、今年2006年には、Love Monkeyというドラマのレギュラーになりました。こっちで大ヒットするドラマはほとんど日本へも行くので、まぁ〜、え〜と・・・・・・・・この二つは日本へ行くことはないでしょう(苦笑)。
プライベートでは、ビバヒルの出演女優を含む、何人もの女優と浮世を流した後、最初の結婚が1999年で、一年も持たずに同じ年に離婚。Naomi Lowdeというメークアップアーチストと2002年から付き合い始め、2004年に婚約、翌年2005年にバハマで挙式しました。彼の趣味はカーレースなのですが、2002年の8月に、練習走行中180マイル(時速にして290Km!)で壁に激突して瀕死の重傷を負いました。今の奥様はこのつらい時期に支えてこられた方なんですね〜。ジェイソンは素晴らしい早さで回復し、リハビリを終えて、今は完全復帰しています。
今年のお誕生日が来たら37歳です。ティーンのアイドルだったブランドンも、もうおじちゃんですね(笑)。

事故後に復帰した後のニュース映像を見つけました。事故の直後の映像がこ、怖い・・・(画像の中のプレイボタンをクリックすると見られます)



そして懐かしのビバヒルオープニングです。お楽しみ下さい♪(画像の中のプレイボタンをクリックすると見られます)



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posted by りぃ at 19:04| サンフランシスコ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ビバリーヒルズ高校白書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月14日

Nena (ドイツ) ロックバルーンは99

ロックバルーンは99今日は、ネーナ・ケルナー(以下Nena)です。すんごく懐かし〜い!!!
80年代に日本でもアメリカでも大ヒットした曲、99 Luftballons(ドイツ語)、99 Red Balloons(英語)を歌ったドイツ人シンガーです。日本でのタイトルは「ロックバルーンは99」でしたね。
えっ?覚えてない?じゃー、これを聞いてみて下さい。以下はYou Tubeからの映像です。

まず彼女の独特の声が一番しっくりくる元祖ドイツ語版。(プレイボタンをクリックすると見られます)



ハスキーな可愛い声というのだろうか。独特のムードがあって、もう当時は繰り返し繰り返しラジオでかかっていましたね〜!ダンスポップが大好きな私にとって、これは忘れられない一曲です。

この下のはNenaが英語圏向けに英語で歌った、99 Red Balloonsです。今度カラオケにあったら歌おうっと!(笑)



結局日本でもアメリカでも、この一曲限りのヒットに終わりました。この後も何曲かいい曲をドイツ語と英語でもリリースしたのだけど、いわゆる一発屋で終わってしまった彼女なんです。
当時のアメリカでは続国語の曲がヒットするってとてもめずらしかったのですよ。英語版はあったけど、なぜかドイツ語版の方がもっとヒットしてたんです。アメリカではチャートで最高2位、イギリスでは1位でした。イギリスではこのヒット以降一度もチャートに名前が出ることはなく、その代わりにThe 100 greatest one hit wonders of all time(訳すと、「過去の一発屋トップ100」、笑)の10位に選ばれています。
Nenaは日米英では一発屋でも、母国とその他のヨーロッパの何ヶ国かでは、その後もそこそこ活動していて、浮いたり沈んだりを繰り返しました。1987年にバンドを解散した後はソロで活動を続けて現在に至ります。
2002年にNena feat. Nenaという自身の80年代のリメイクを入れたCDを発売してからまた盛り返してきて、チャートにも時々顔を出すようになっています。今年の10月にはニューアルバムをリリース予定です。
プライベートでは双子を含む四児の母で、最初の双子は同じバンドメンバーだったドイツ人のRolf Brendelとの間に出来た子供で、解散後はスイス人の俳優と結婚し二児をもうけました。
現在ドイツのハンブルグ在住で、46歳の彼女は今もがんばっていますよ!!!

99 Luftballons
99 Luftballons
posted with amazlet on 06.08.13
Nena
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2006年08月12日

ジョニー・キャッシュ Johnny Cash (アメリカ) Vol. 2 バイオグラフィー


←ジョニーのベストアルバムなら絶対これ!私の大好きな、ジャクソン、アイウォークザライン、リングオブファイヤー、全て入っている!!!
エッセンシャル・ジョニー・キャッシュ


  • 1932年2月26日 ジョニー・キャッシュ、アーカンソーに生まれる。
  • 1942年2月26日 10歳の誕生日に生まれてはじめてのギターを貰う。
  • 1944年 ジョニーが12歳の時に、大好きだった兄のジャックがアルバイト中に工場機械の事故で死亡。 この兄の死は、後々までジョニーの人生に影響を与える。詩、曲を書き始める。
  • 1946年 14歳。この頃から音楽で生きていくことを心に決め、コンテストに応募したり、歌える機会があればどこででも歌わせてもらっていた。
  • 1950年  高校を卒業し自動車工場で働き始めるが、一ヶ月も続かず辞゚る。
  • 1950年7月7日 エアフォースに・烽オテキサスでトレーニングを受ける。この頃、最初の妻になるヴィヴィアンとデートを始める。無線傍受オペレーターとしてドイツに赴任。ヴィヴィアンには毎日手紙を書いていた。5人組でバンドを始める。
  • 1954年7月 エルビス・プレスリーのデビューシングルが録音され、サム・フィリップスのサンレコードからリリースされた。この頃ジョニーは訪問販売のセールスマンをして生計を立てていた。三人のバンドメンバーと知り合い、”ジョニー・キャッシュとテネシースリー(三人)”としてゴスペルの曲をパーティーなどで演奏する。この時のステージ衣装はいつも黒。
  • 1954年8月7日 ヴィヴィアンと結婚。
  • 1954年後半 サンでオーディションを受ける。フィリップにゴスペルは止めて、カントリーで行くように勧められる。フィリップをプロデューサーとして、Wide Open Road、You're My Babyを録音。(フィリップは1958年までジョニーのプロデューサー)
  • 1955年3月22日 ステージネームを、ジョンからジョニー・キャッシュに変える。リーガルネームはジョン・キャッシュなのだけど、これはエアフォースに入った時に改名された名前で、なんと生まれたときの出生証明書の名前は、J R Cash!これはミドルネームなしで、JとRの二つアルファベットだけがファーストネーム!!!名前がジェーアール!(笑)。うちの旦那(アメリカ人)曰く、この時代ではめずらしいことではなかったそう・・・へぇ〜、そうなんだ。ジョニーの場合は、夫婦で名づけでもめてそうなったとかいう説もある・・・
    この頃ビルボードの順位でプレスリーを抜きはじめる。もらった初の印税が2ドル41セントだったそうです。
  • 1955年5月24日 ヴィヴィアンとの間に長女誕生。
  • 1956年4月1日 ヴィヴィアンとの間に次女誕生。
  • 1956年4月2日 I walk the line.とGet Rhythm.の入ったシングルが2ミリオンセラーになる。
  • 1957年 There you go(1位 カントリー/ウェスタン)、B面Train of Love(7位 カントリー/ウェスタン)
  • 1957年7月29日 ヴィヴィアンとの間に三女誕生。
  • 1958年前半から半ば 若者のマーケットも捉える。Ballad of a Teenage Queen(10週間カントリー/ウェスタンで1位、B面Big River)。Guess Things Happen That Way B面 Com In Stranger。
  • 1958年夏 サンとの契約が満了して、コロンビアレコードへ移籍。家族をロサンゼルスの近くのベンチュラに引っ越させる。The Ways of a Women In Love B面 You're the Nearest Thing To Heavenがサンでの最後のシングルになる。
  • 1958年12月8日 コロンビアでのジョニーの最初のLPが、Top LPチャートの19位に踊りでる。
  • 1959年5月 コロンビアでの二枚目のアルバムリリース。これを録音するためにコロンビアに来たとの説明付き。ゴスペルなのだ。
  • 1960年1月1日 カリフォルニアの刑務所で初の無料コンサート。この後たくさんの無料コンサートを行う。
  • 1960年9月 Ride This Trainリリース。彼の初のコンセプトアルバム。ナレーション入り。
  • 1961年 初のハリウッドでのレコーディングセッション、Tennessee Flat Top BoxとThe Big Battle。The Big Battleは妻や家族との別れや、ドラッグやアルコール中毒をほのめかす内容で、世間にそういったイメージが浸透する。
  • 1961年8月25日 カーターファミリーがジョニーのツアーに参加している時に四女誕生。
  • 1962年夏 ナッシュビルに戻り、カーターファミリーとの初の録音。
  • 1962年/1963年 カーターファミリーとの活動。録音。フォークソングも多数。
  • 1963年3月25日 Ring Of Fireがリリース。7週連続で1位。
  • 1963年7月27日 Ring Of Fire(The Best of Johnny Cash)がLPトップチャートに。
  • 1964年1月11日ビルボードに新しいホットカントリーアルバムチャートが加わり、Ring Of Fireが1位に。14週続いてゴールドアルバムになる。
  • 1964年7月 再録音されたサンでのヒット曲の6曲を含むアルバムI Walk the Lineがリリース。4週連続で1位になって彼の二枚目のゴールドアルバムに。
  • 1964年 ジューン・カーターとのデュエットで、It Ain't Me Babeが4位になり、なんと22週間もチャート上に残る。
  • 1967年3月4日 ジューン・カーターとのデュエットで、Jacksonがチャートで2位。
  • 1968年1月13日 フォルサム刑務所(カリフォルニア)でのコンサートがコロンビアからリリース。
  • 1968年2月29日 ジューンとのデュエットJacksonがグラミー賞受賞。
  • 1968年3月1日 ジョニー、ついにジューン・カーターと結婚!!!!

ここまで書くの、つ、、、、疲れた〜。めでたく二人が結ばれたところで、このブログのテーマは、「あの人は今」なので、途中を飛ばします(苦笑)

          〜〜中略〜〜
  • 2003年5月15日 ジューン・カーター、心臓の手術からくる合併症で死去。
  • 2003年9月12日 最愛の妻の死から4ヵ月後、糖尿病からの合併症でジョニー死去。
こんな風に夫婦でいつまでも仲良く愛し合い、仕事のパートナーとしてもつきあえたら素敵でしょうね〜。
【ジョニーのアルバム】
アット・フォルサム・プリズン
アット・サン・クエンティン(ザ・コンプリート 1969年コンサート)

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posted by りぃ at 18:43| サンフランシスコ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | J | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月11日

ジョニー・キャッシュ Johnny Cash (アメリカ) Vol. 1

このブログの記念すべき第一回目、一人目の”あの人”は、ジョニー・キャッシュです!いきなり故人ですみません。そう、ジョニー・キャッシュは2003年の9月に亡くネっています。それも最愛の妻が亡くなったほんの数ヶ月後に、まるで後を追うようにして・・・あぁぁ、本当にラブラブだった二人。
今頃なぜって感じですが、現在私はこのジョニー・キャッシュに滅茶苦茶はまっているので〜す。
私はアメリカのYahooのミュージックサービスを申し込んでいるんですが、月に数ドルで色々なミュージシャンの曲が好きなだけ聞けるのです。で、先日そのYahooミュージックの人気ランキングを見たらジョニー・キャッシュは8位でした!この人気度は加入しているユーザーからその曲がplayされた回数によるものなんです。すごいでしょ?もちろん、ヒラリー・ダフからブリトニーからマドンナから最新ヒット曲まで何でも聞けるサービスなので、ジョニー・キャッシュがアメリカ国民にいかに愛されているのか物語っていますよね。
正直な話、実はついこの間まで、私はジョニー・キャッシュのジョの字(どんな字や?)も知りませんでした。その存在すら。なんせ私が生まれる前から活躍していたお方なのですよ。でもね、曲を聞いたら聞き覚えのあるものがたくさん!低く渋い声で、すごく耳に残る声なんです。最近毎日のように聞いていたので、頭の中でその声とメロディが絶えずリピートしていてもう離れません(苦笑)。
ジョニー・キャッシュをご存知ない方の為に簡単に彼のバイオグラフィーを語ると、ジョニー・キャッシュはカントリーシンガーで、幼少の頃から歌い始め、数々のスーパーヒットを飛ばし、長期に麻薬の常習者として苦しみ、妻子がありながら別の女性(後に妻となるジューン・カーター)に何年も一途に恋焦がれて何回もプロポーズをして断られ、でも最後はジューンを勝ち取って再婚し、その後35年も添い遂げたのです。真実の愛!
誰でも知っている有名な曲ではRing Of Fireがあります。えっ、何それ?って思う方も聞いてみたら、あ〜これか!と思う曲です。
私がジョニー・キャッシュを知るきっかけになったのが、最近見た映画のWalk the line(邦題は「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道 特別編」)なんです。

ウォーク・ザ・ライン 君につづく道 特別編映画は彼の人生を描いていて、実話に基づいて作られているんですが、もうすご〜〜く素敵!DVDをレンタルしてみたのだけど、見終わった後即DVD買いに走りました(笑)。
主演したホアキン・フェニックス(ジョニー役)が、うまい!歌もうまい!もうジョニー・キャッシュが完全に乗り移っていました。ジョニー・キャッシュはとても独特な歌い方、ギターの弾き方をするんですが、ホアキンはそれをうま〜く真似ていました。私も最近は毎朝Ring of FireとかI walk the lineとかを歌いながら、体をくねくねして彼の真似をして楽しんでいます(笑)。やらずにはいられなくなるんですよ、これがまた!

ジョニーは歴代のアメリカ大統領のほとんどと仲良しだった、というのは皆さんご存知ですか?特にジミー・カーターとはとても親しい間柄だったそうです。そしてどの大統領とも仲良しの彼が、唯一、ではなく唯二(←そんな言葉ないね、笑)嫌いで、お友達になってあげなかったのがクリントンとブッシュなんだそうです。理由は不明ですが、二人ともジョニーの好みではなかったのですね(笑)。何となく判る気もしますが・・・でもそういう国のリーダーと友達でいて、決してどこの政党も支持せず、中立していたそうです。かっこいいなぁ〜。
私なりにまとめた、ジョニー・キャッシュの詳細のバイオグラフィーはこちら。


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posted by りぃ at 19:02| サンフランシスコ ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | J | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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